食用きのこの機能性に関しては、様々な研究が成されています。最も身近なきのこであるシイタケにはレン チナン(βグルカン)が含まれており、抗ガン作用を有することが解明されています。また、エリタデニンには血液中のコレステロールの濃度を低下させる働き のあることが分かっています。さらには、シイタケの胞子に含まれる二本鎖リボ核酸(dRNA)は、 インフルエンザウィルスに対抗する抗体を誘発するインターフェロンの誘導物質であることも解明されています。これらの機能性成分は、食材としての子実体の 直接摂取や抽出成分を含んだドリンク剤などとして利用されています。食用以外のきのことしては、カワラタケからのクレスチンやスエヒロタケのシゾフィラン は製剤化され、抗ガン剤として既に市販されています。
しかし、同じきのこでも毒きのことなると毒成分の解明以外、活用に向けた研究はほとんど成されていないのが現状です。そもそもきのこが毒を持つ理由については、未だ解明されていません。きのこに代表される天然物が食に適するか否かについては、人類の歴史の中で自らが試食することによって安全性を確認してきたものと思われます。それゆえ、毒は本来食物とは対立する概念であったと言えます。天然物は本来あらゆるものが「毒」を持っており、その用量の違いによって「毒」と「薬」とが区別されるという考え方があります。人類は毒を忌避の対象と見なして毒から逃れ、あるいは毒を除く努力を重ねてきた訳ですが、一方では毒の有用性に着目し、その積極的な利用を図ってきた歴史があります。
一般的に植物の場合は、動物から捕食されることによって受ける損傷を免れるために様々な植物毒を合成し、動物から捕食されないように防御を行っていると言われています。防御物質としての「毒」の場合、動物が食べてすぐに毒と分かるような成分だと言われています。つまり、食べられないように自分の身を守るための「毒」と言うことです。
しかし、きのこの「毒」の場合、ゆっくりと効き目を現すため、すぐには毒と分かりません。一般的には、胃腸系の毒で約1時間、致命的なものでも体が反応するまでには6時間近くを要します。このような悠長な反応ではとても自分の身を守ることなどできません。それゆえ、きのこの「毒」の場合、きのこ本体を食べられないようにするための「護身」用の役割は持っていないと言われており、逆に食べられることで、摂食者を死に追いやり、地球上の物質循環に意図的に係っているのではないかと考えられています。
きのこは地球上の物質循環に無くてはならない存在であることは、良く知られています。つまり、植物や動物の死骸を分解して無機化し、土へ還す「分解者」としての役割を担っています。「分解者」であることからすると、共生関係にある植物が養分(動物の死骸)を吸収し易くするために、積極的に動物を死に追いやることも考えられなくはないのです。きのこを食することで動物が死に至る…。このような企みの元で、きのこは毒を持つようになったのではないか?との説があります。
また、きのこの色のカラフルさには目を惹かれるものがあり、暗い森の中では目立つ存在と言えます。胞子の拡散(動物に食べられない場合は風で飛散)も兼ね、あえて動物に食べられることを前提に地上や樹上などに子実体を形成しているのではないでしょうか? きのこを見つけた動物がきのこを食べて(糞として胞子を拡散)、上手く死に至ればきのこの菌糸やバクテリアが死体を分解して土壌へ養分の形で還元し、それを植物が利用する…。きのこの「毒」は、このようなしたたかな物質循環を考えて菌糸が身に付けたものなのかも知れません。
さらには、地下や倒木の内部など、他の菌類との熾烈な「縄張り争い」で優位に立つための手段として、きのこの本体である菌糸が「毒」を持つようになったとの考え方もあります。例えば、食菌となっている「まいたけ」「しいたけ」「えのきたけ」「ひらたけ」「あらげきくらげ」などは、生で食べると消化器系の中毒を起こすことが知られています。生食という観点からすると、これらきのこは、「毒」扱いとなってしまうのです。当然、加熱処理を行えば、毒成分は分解されて優秀な食菌となることから分かるように、毒が毒としての作用を発現するためには、「質」や「量」が大きく関わっているのです。すなわち、人の体内で代謝できる範囲内であれば、毒きのこであっても中毒を引き起こすことはないのです。地上と異なり、生存競争の激しい光のない地下の世界に棲むきのこ達が、他の競合菌類とのサバイバルに打ち勝ち、地下の世界を制覇するために「毒」と言う防御手段を身に付けたのかもしれません。このようなきのこの不思議な成分としての「毒」、その未知なる物質の活用法について取りまとめてみたいと思います。
テングタケ属のきのこには、シロタマゴテングタケやドクツルタケ、タマゴテンクタケなど猛毒のきのこが多く含まれ、毒成分としてアマニチンやファロイジンなどのアマニタトキシン類であることが解明されています。これらの毒成分は肝臓内の生体細胞を破壊して死に至らしめることが分かっています。生体細胞を破壊すると言うこれら毒成分の構造と機能を解明することで、人類にとって大敵であるガン細胞を特異的に破壊するような新薬の開発に繋げることができるのではないかと期待されます。なお、タマゴテングタケの毒成分の研究においては、α‐アマニチンがRNAポリメラーゼの阻害剤であることが解明され、ファロイジンとともに遺伝子を解析するための分子生物学における試薬として市販されており、今日の分子生物学の発展に大きく貢献しているのです。これら毒成分以外にも、テングタケ属のきのこには旨味成分としてイボテン酸が含まれていることから、新しい調味料の開発も期待されます。
また、軽度の下痢を引き起こすきのことしては、イグチやホウキタケの仲間などがありますが、これらのきのこは痛みを伴わない下痢症状であることから、毒成分を解明することで、便秘を解消するための整腸剤としての活用が可能と思われます。
さらには、ヒトヨタケやホテイシメジのように、きのこを食べながら酒を飲むと悪酔いすることが知られています。ヒトヨタケの原因物質は、コプリンであることが判明しています。このコプリンが体内で飲酒したアルコールと結合して悪酔いの元であるアセトアルデヒドに変化し、さらにアセトアルデヒドを分解する酵素(アルデヒドデヒドロゲナーゼ)までも阻害するため、体内に悪酔い物質が蓄積して二日酔いになることが分かっています。この毒成分は断酒薬(アンタビュース)として開発された医薬品のジネルフィラムとまったく同様に作用することから、禁酒や二日酔いの新たな治療薬の開発につながる可能性があります。
きのこの毒成分はこれまで物質の特定だけにとどまっていた傾向にありますが、化学構造が解明されて生物に対する作用機作を明らかにすることで、医薬品をはじめ生化学試薬や殺菌剤、殺虫剤さらには調味料などの開発が今後の薬学・医学・食品化学などの産業分野において期待されるものと考えています。しかし、そのためには、解決しなければならない大きな課題があります。毒成分を特定するためには多くの検体(毒きのこ)を集める必要があります。きのこは発生場所や時期が限られ、しかも採取可能な期間も短いため、目的とする毒きのこを大量に収集することは極めて困難なのです。しかも、シイタケのレンチナンは子実体、カワラタケのクレスチンは菌糸体からの抽出と言うように、菌糸体と子実体に含まれる成分が異なることから、両方の検体を入手する必要があるのです。食用きのことして栽培されている木材腐朽菌は比較的菌糸の分離や栽培が容易なのですが、毒きのこのほとんどは菌根性のきのこであることから、菌糸体の大量培養や人工栽培による子実体生産の研究はほとんど行われていないのが現状です。マツタケのような高級食用きのこの人工栽培の研究は今後も必要だと思いますが、医療に貢献する創薬産業などの素材開発の観点から、これからは毒きのこの量産化に向けた栽培技術の積極的な研究・開発も必要になってくるのではないかと考えます。