岐阜県美濃加茂市太田町のJR美濃太田駅でおなじみだった駅弁の立ち売りが、今月いっぱいで終了する。この駅弁は、美濃太田と言えば「松茸(まつたけ)の釜飯」とファンに愛される名物で、かつて駅弁販売の主流だった立ち売りは今では全国で数えるほどしか残っていない。地元の仕出し店が親子2代にわたって続けてきたが、時代の波に押され、惜しまれつつ約60年の歴史にピリオドを打つ。
立ち売りで毎日ホームに立つのは、駅近くの仕出し店「向龍館」社長の酒向茂さん(75)。ホームに出店し、列車の到着時刻に合わせ、各ホームで駅弁を入れた販売箱を首から下げて売り歩く。「今は列車の前を歩くけど、『弁当、弁当』とは言わない。列車の中には聞こえないから」と笑う。
向龍館は先代社長の父親和男さんが1955年に創業し、59年から「松茸の釜飯」の販売を始めた。酒向さんは高校卒業後から手伝い、この道50年以上。以前は従業員が30人ほどいたが、7、8年前から妻素子さん(72)と2人に。毎朝4時~4時半に起き、釜飯を作って8時半には駅でスタンバイする生活を年中無休で続けている。「ファンがいてくれたから、この年になっても続けてこられた」と振り返る。
JRの高山線と太多線、長良川鉄道が乗り入れる美濃太田駅は鉄道交通の要衝。80年代ごろには飛騨高山や下呂温泉への旅行客、木曽川のライン下りの行楽客らであふれ、300~400個が毎日飛ぶように売れたという。
高速道路整備や旅行形態の変化、コンビニ弁当の登場のほか、停車時間の短縮や列車の窓が開かなくなったことなどで、売りづらくなっていった。「ホームにいる人が減り、1日に10個も売れなくなった。年も年だし、きつくなってきた」。昨年、今年春の駅売り終了を決断した。列車が動き出して代金をもらい損ねたり、お釣りを窓から投げ入れたりと思い出は尽きない。「家内も一緒に休みなしで一番大変だった。感謝、感謝」と話す。
取り巻く環境が変わっても、変わらないのは「松茸の釜飯」の味。「ずっと変えていない。ちょっと薄くしただけ」と酒向さん。マツタケ、タケノコ、鶏肉、ワラビなどの具材とレシピを守り続けている。30年来、ほぼ毎年食べているという愛知県東海市の公務員吉田崇さん(40)は「小学校低学年の頃から食べてきたが、全く味が変わっていない。本当に寂しい」と惜しむ。
今後も本店の営業は続ける。だが「釜飯は材料があるうちはできるけど、駅売りをやめたらもうできない」という。
最近は閉店することを聞いたファンが各地から訪れている。23日、「酒向さん、元気?」と愛知県犬山市の女性ら3人連れが買いに来た。「小さい頃、飛騨高山に行く途中に、いつも釜飯を買ってもらった」。思い出の釜飯をもう一度味わおうと駆け付け、「こてこての話し方は変わらないね」と会話を弾ませた。東京や大阪からも買いに来るといい、お客さんは口々に言う。「長い間ご苦労さまでした」