12日に避難指示が解除される南相馬市小高区で、35歳の女性が震災から5年がかりでシイタケ栽培を再開させた。東京電力福島第1原発から11キロの沿岸部で、津波被災を逃れた高台。風評被害の不安も根強い地域だが、「挑戦しないうちにあきらめるのは絶対に嫌だった」と話す。「頑固者」と自認する女性は「意地」に突き動かされ、産地再生の望みを追っている。【大塚卓也】
女性は、小高区蛯沢の農業、泉景子さん。子どもの時から祖父母の田植えや稲刈りを手伝い、父隆吉さん(64)が経営する重機修理会社で事務仕事を支えてきた。
周囲では近年、重労働の原木栽培から菌床栽培に切り替えるシイタケ農家が増えた。栽培方法を教えてもらいながら、「自分にもできるかもしれない」と思ったという。2010年3月、県から認定農家の資格を取得。敷地にハウスを建て、一人で栽培を始めた。
農業で自立する夢が実現した直後に起きたのが、翌年3月の大震災と原発事故だった。景子さんは、両親や祖父母と一緒に同市原町区の仮住まいに移り、シイタケ栽培の早期再開を目指してきた。新しいハウスを建てる敷地を確保するため、裏庭の山を丸ごと崩し、放射線測定などの知識が必要な除染業務従事者の資格を取った。「消費者に安心してもらえるシイタケを作りたい」一心だった。
地元農協によると、小高区では、農作物の風評被害からシイタケ栽培を再開させる農家はいない。同じ地域に、汚染がれきなどを処理する国の仮設焼却炉が建設されたこともあって、営農再開を後押しする市の担当者からも「しばらく様子を見た方がいい」と言われ続けていたという。
6月上旬、うれしい一報が届いた。最新の測定器による県の検査で放射性物質は検出されず、安全のお墨付きが得られたからだ。収穫したシイタケはすべてを農協に出荷することが決まった。
黒い暗幕がかかったハウスは、湿度が80%以上に保たれ、約2000個の菌床から芽を出したシイタケが数時間単位でかさを広げていく。まだ暗い早朝から深夜まで、次々と摘み取り、保冷庫に運び、大きさごとにより分けて、出荷用のパックに詰めていく。
「一年中休みがなくても苦に思わない。それが小さい時から当たり前の生活だった」と話す景子さん。隆吉さんが「ちょっと手伝っているだけ」とはにかみながら、菌床に水を振りかけるシャワーの不具合を直していた。